弁護士による交通事故ブログ (転載禁止)

診断の検討を不要とした裁判例

1 診断を検討する現実的理由

 医師は患者の症状(と検査結果)をもとに診断を下します。その診断をもとに症状を認めることは循環論です。診断の適否を検討しても、症状の存否・程度には影響しません。診断の適否を検討することに意義がある事案は極めてまれです。実際に診断された傷病名とは異なる傷病名でより合理的に被害者の症状が説明でき、その場合には被害者の症状と事故との因果関係を否定できる場合にのみ、加害者側はその代替案を主張・立証することに意味があります。被害者に対する診断を否定して、これにより症状や事故との因果関係が否定できるかのうように論じることは誤りです。
 但し、訴訟でこの主張をしても裁判官によっては認めて頂けないと思います。その理由として以下の3点が考えられます。最大の理由は、「後遺障害の判断のためには診断が正しいことが必要である」との先入観です。即ち、「これまでの事件で診断の適否を判断して、それにからめて後遺障害の有無・程度や事故との因果関係を判断してきた」という裁判官の個人的な経験がかなり大きく作用していると思います。
 2つ目の理由は、「実際の裁判例でもすべて診断の適否を判断しているではないか」との考えです。たしかに、判断している裁判例は非常に多いのですが、一方で判断していない裁判例も少なからず存在します。しかし、これらの裁判例はほとんど知られていません。
 3つ目の理由は、1つ目の理由から派生した「これまで診断の適否を判断してこれにより結論を決めてきた。それが全部誤りであったとすると、判断ミスを何回も繰り返してきたことになる。そんなはずはない。」との理由です。
 上記の3つ理由はいずれも論理的なものではありません。それゆえに診断の検討が不要である理論的根拠をいくら並べても効果は期待できません。このため「CRPSを発症したと言えなければ、『CRPSによる症状』が認められないのは当然ではないか。」との考え変えることは非常に困難です。「それは単なる循環論ですよ」と指摘しても容易には理解してくれないでしょう。
 そこで、現実の裁判例を示すことが効果的です。以下では、診断の適否の判断を不要とした裁判例のうち比較的最近のものを中心に検討していきます。


2 横浜地裁平成24年7月31日判決(判例時報2163号79頁)


  1.  脳脊髄液減少症が問題となった事案です(病名で事件を紹介すると病名と症状の混同を招きやすいのですが、他に適切な表現が思い当たりません。)。
     判決は、「…で認定した本件事故後の原告の症状・治療経過等によると、原告には、本件事故により、頸部受傷後の頭痛、後頸部痛、背痛などの神経症状が残存したことが認められる。」(85頁)として、治療経過などから症状を認定しました。
     続けて、「原告は、平成20年10月27日ころに休職した以降は、仕事をすることができず、また、鎮痛作用のかなり強い鎮痛剤を継続的に使用しているのであって、その痛みの程度は著しいと考えられる。」として、治療経過、投薬、休業の事実などを根拠に症状を認定しました。

  2.  このように症状に関わる事情から症状を認定することは正しい方法論です。症状を認定するためには症状に関係する全ての証拠を洩らさず検討する必要があります。検討しなかった証拠により、結論が変わる可能性があるからです。
     即ち、症状から近い順に、①被害者本人の訴え、②医師が確認した症状、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦診断(症状を確認した医師の評価)、⑧その他の事情、の全てを余すところなく検討して、被害者の症状を認定する必要があります。

  3.  これに対して、加害者側は「客観的な証拠である画像所見による証明が不可欠である」として上記①から⑧のうちの③の一部のみを特別視する(不可欠の要件とする)ように誘導します。加えて、診断の適否で結論を決めるようにも誘導します。この誤りに陥ると上記①から⑧の全てを無視することになります。
     さらに、被害者の症状を否定する方向でのみ上記①から⑧の全ての事情を考慮できるとの誤解に誘導します。これが「症状を認定するためには画像所見と診断が不可欠である。症状を否定するためには全ての証拠を用いることができる。」との誤りです。この誤りに誘導された裁判例をしばしば見かけます。

  4.  横浜地裁判決は上記に続けて、「…のとおり、原告は脳脊髄液減少症を発症した疑いが相当程度あるから、原告の上記症状は、脳脊髄液減少症による可能性が相当程度ある。また、仮にそうでないとしても、原告の現在の神経症状が上記のとおり重いものであることは明らかであり」とし、後遺障害等級9級10号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するとしました。
     この判決のポイントは、①症状に関係する各証拠から症状を認定していること、②最初に症状を確定させ、その上で病名を検討し、その病名の可能性があるとしたこと、③病名が不明であっても症状が重いことには変わらないとしたことです。

  5.  この判決は非常に優れています。ただ1つ難点は後遺障害等級を認定していることです。判決で後遺障害等級を認定することは法が求めている判断ではありません。判決で被害者の具体的症状を認定して、これに対応する労働能力喪失率を認定すれば、損害額は算定できます。
     後遺障害等級の認定は自賠責の手続で完結しています。訴訟は自賠責の続審ではありません。ところが、実際には訴訟で等級が上がった場合には、加害者の任意保険会社はその等級に応じた負担額を自賠責に支払ってもらうことがでます。例えば、本件は自賠責では14級であったので、判決が9級と認定したことにより加害者の任意保険会社は自賠責の負担額の差額(616万円―75万円=541万円)を追加で支払ってもらうことができます。だからといって民間の私企業の利益のために裁判所がわざわざ後遺障害等級を認定する必要はありません。
     被害者が重い後遺障害を残している事案であっても、自賠責で極端に低い後遺障害等級(または非該当)とされることは非常に多くあります。そのような事案では、加害者側からウソ医学やウソ理屈が主張されることが多く、被害者が訴訟でも救済されていない事案が非常に多く発生しています。
     この状況で、被害者を救済した判決で後遺障害等級を認定したならば、加害者側(損保)は自賠責に対して、「ぜひこれからも実態に合わない非常に低い後遺障害等級を認定し続けて下さい。」と希望する立場に置かれます。これに対して、訴訟で後遺障害等級を認定しないこととなれば、加害者側は自賠責に対して、「実態に見合った後遺障害等級を認定してくれないと困るよ。」と苦情を言うべき立場に置かれます。
     このような考慮からか、後遺障害等級を認定しない判決はしばしば出されています。私自身も上記の趣旨を主張して、後遺障害等級を認定せずに、労働能力喪失率を上げた判決を頂いたこともあります。

3 東京高裁平成22年9月9日判決(自保ジャーナル1832号1頁)



  1.  軽度外傷性脳損傷が問題となった事案です。判決は、被害者の治療経過、症状経過を詳細に述べて、最終的症状(後遺障害)や検査結果を非常に詳細に認定しています。
     判決は「控訴人は、本件事故により頭部に衝撃を受け、これにより脳幹部に損傷を来し(脳細胞の軸索が損傷し(剪断ではない))、これを原因として、漸次的・経時的に右上肢のしびれ、筋力低下(握力低下)、頻尿、等の種々の症状を発症させ、その症状は平成16年12月9日に固定するに至り、現在、控訴人には自覚症状としては「手に力が入らない、歩きにくい、ペットボトルの蓋が開けられない、排尿回数が多い、臭いが分からない、道に迷うことがある」との障害が残り、他覚的症状としては、(省略…検査結果を詳細に列挙)との症状が残存しているものと認められる(以下、これを「本件後遺障害」という)。」とします。
     この判決の優れている部分は、①後遺障害が病名ではなく具体的な症状であると正しく理解していること、②症状を確定させた上で病名を検討するという正しい順序で検討していることです。

  2.  判決は上記に続けて、「たとえ、①控訴人が本件事故後に実況見分に立ち会って警察官に指示説明をし、その後自ら控訴人車を運転して(略)まで帰ってきているとしても、すなわち、本件事故後に強い意識障害はなかったとしても、②また、控訴人にはCT検査やMRI検査の画像所見において異常所見が認められないとしても、③さらには控訴人車の同乗者には後遺障害が生じていないとしても、軽度外傷性脳損傷においては事故後すぐに症状が現れるとは限らず遅発性に症状が現れることもあるというのであり、また、軽度外傷性脳損傷の場合には必ずしも画像所見に異常がみられるということでもないというのであるから、上記①②③の事情をもって控訴人において本件事故により脳幹部に損傷を来した(脳細胞の軸索が損傷した)事実を否定することはできないものというべきである。」とします。  続けて、「もっとも、控訴人がWHOの定めた軽度外傷性脳損傷に関する平成16年の定義に該当するか否かについては、本件訴訟においてはそれを確定することが必要なわけではない。本件訴訟において重要なことは、本件事故によって控訴人が頭部に衝撃を受けて脳幹部に損傷を来してこれを原因として後遺障害を残存させたか否かであるところ、この事実は上記のとおりこれを認めることができるものである。」とします。  この部分も非常に優れています。

  3.  続けて「控訴人に残存している本件後遺障害が本件事故を原因とするものであること(本件事故と本件後遺障害との間にいわゆる条件的因果関係があるとの高度の蓋然性)はこれを認めることができるというべきであり(本件事故以外にその原因を考えることができない。最高裁昭和50年10月24日判決)、そして本件事故と本件後遺障害との間には相当因果関係(通常生ずべき関係)も認めることができるものというべきである。」とします。
     上で引用された最高裁判決はいわゆるルンバール事件最高裁判決です。それを「本件以外にその原因を考えることができない」と要約したこの部分も非常に優れています。

  4. 最高裁判決の準則
     最高裁判決は、①生じた結果を確定した上で、②具体的なメカニズムが不明であっても、訴訟に現れた全ての事情を総合すると原因Aにより結果Bが生じたと推定でき(高度の蓋然性、80%ほどの証明度)、③Bを生じさせた原因としてA以外の相当程度の可能性がある具体的な他原因が見当たらない状況で(他原因考慮)、因果関係を認めます。
     ルンバール事件をはじめとして、保育園保母事件(最高裁平成9年11月28日判決、労働判例727号14頁)、バレーボール事件(最高裁平成18年3月3日判決、判例時報1928号149頁、判例タイムズ1207号137頁)、B型肝炎事件(最高裁平成18年6月16日判決、判例時報1941号28頁、私法判例リマークス35号58頁)、などで繰り返しこの理屈が述べられ、最高裁判決の準則となっています。
     上記②の他原因について、ルンバール事件判決は「これが再燃するような特別の事情も認められなかった」とし、保育園保母事件判決は「他に明らかにその原因となった要因が認められない」とし、バレーボール事件判決では原審が他原因の有無を審理しなかったことを「判決に影響を及ぼす明らかな法令の違反」とし、B型肝炎事件判決は「本件集団予防接種のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず、他の原因による感染の可能性は、一般的、抽象的なものにすぎない」としました。
     以上のほかに、一般的・抽象的な他原因の存在可能性のみでは、上記①の推定は覆らないとした最高裁判決(平成11年3月23日)があります。

  5.  上記の高裁判決は、上記①と②による判断の対象を「条件的因果関係」と述べて「相当因果関係」と区別していますが、最高裁判例は上記①と②の枠組みのみで因果関係を判断しています。この部分で高裁判決は難があります。
     高裁判決のように、交通事故において相当因果関係として「原因から通常生ずべき結果」であることを殊更に要求することは現実的ではありません。
     例えば、平成25年には人身事故の負傷者数は78万1500人ほど存在しますが、必ずしも事故による衝撃の大きい人に大きな後遺障害が残存しているわけではありません。軽度の衝撃の事故で重い後遺障害を残すことになった人も多数存在すると考えられます。同じような衝撃の交通事故であっても被害者に生じる怪我は多種多様です。事故を取り巻く事情が少し違うだけで大きな違いになります。仮に「その衝撃の事故からその後遺障害を残すことになるのは100人に1人である」という事情があったとしても、巨大な分母(例えば78万1500人)の中には数千人レベルで運悪く重い後遺障害を残すことになった人が存在すると推測できます。
     この場合に重い後遺障害を残したのは「通常生ずべき結果」ではないとして、相当因果関係がないとすること(因果関係を否定すること)は、常識に反します。因果関係の相当性の判断基準としては「交通事故により生じるたぐいの症状が出た」ことで充分です。この考慮は、高裁判決のいう条件的因果関係の判断の中で行なわれています。
     現実的に考えてみても、交通事故を基点として、交通事故により生じるたぐいの症状が出たのであれば、普通は交通事故によりその症状が出たと考えます。
     高裁判決は被害者の後遺障害を「通常生ずべき結果」としましたが、論理的ではありません。本件類似の事故で被害者と同様の症状に至る人は100人中せいぜい2、3人であると思います。高裁判決はこの部分での判断が素因減額に影響しているようにみえます。

  6.  高裁判決のように因果関係の相当性を「通常生ずべき結果」と考えると、同じレベルの衝撃の事故で怪我をしなかった人や軽傷で済んだ人と比較する方向に向かいます。
     実際にも高裁判決は、心因的素因として3割を減額しています。高裁判決は心因的素因として具体的な精神疾患を特定しておらず、その精神疾患が通常、症状を悪化させるものであるとの認定(高裁判決の述べる相当因果関係の認定)もしていません。即ち、被害者の損害を認定するのと同程度の要件を素因減額では求めておらず、被害者と加害者の扱いに不均衡が生じています。
     高裁判決は、「素因減額の引き算認定」に陥っています。素因減額の引き算認定には次の2パターンがあります。
     1つ目は、①被害者の後遺障害が重い、②事故による衝撃は大きくない、③その差は素因である(XYZ型。私が勝手に命名しました。)です。
     この理屈に陥ると素因概念の空洞化が生じます。実際にも高裁判決は具体的な素因を認定しておらず、素因による症状悪化(いかなる素因がいかなる影響を与えたのか)を具体的に認定していません。その結果、重い後遺障害が残存することになった被害者に対する差別的な思考(この人が特殊だから症状が重くなったとの考え)がストレートに素因減額につながっています。その中間で具体的な理由が述べられていません。
     2つ目は、①被害者の後遺障害が重い、②医学的な説明(診断)が困難、③その差は素因である(PQR型)です。この理屈も素因概念の空洞化を招きます。
     PQR型は、「診断が正しいといえなければ症状が存在することが合理的に説明できない。よって、症状の存在が不確かな分を差し引く」との誤った理屈を前提にしています。この理屈の誤りはすでに述べてきたとおりです。診断の検討に誘導するウソ医学は素因減額を併用することが非常に多く見られます。
     高裁判決は、判決には書かなかったものの、事故の衝撃が非常に大きいとは言えず、同乗者に後遺障害がないことや、軽度外傷性脳損傷との診断が困難であると考えたことを考慮して、根拠があいまいなまま上記の2タイプを併用した素因の引き算認定をしたものと言えます。

4 山口地裁下関支部平成27年9月30日判決(自保ジャーナル1982号10頁)


  1.  この事件は低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)が問題となった事案です。
     この事案では被害者は後遺障害を主張しておらず、治療費、休業損害、傷害慰謝料(入通院慰謝料)などを請求しています。この前提で、「その治療は事故と因果関係があるか」が問題となり、その判断の中で被害者(原告)は診断が正しいかどうかを判断する必要はないと主張します。
     判決によると、被害者(原告)は、「医学的知見は医学や医療機器の進歩に伴って変化するものであり、ある傷病名の病気に罹患したか否かについて、少なくとも本件訴訟で判断する必要はない。」(11頁右列)と主張しています。

  2.  一方で、判決によれば「被告は、低髄液圧症候群の診断に当たっては最新かつ医学的に承認された診断基準によるべきであるとして、国際頭痛分類基準、神経外傷学会基準等の診断基準を摘示し、原告の症状はこれらの基準を充たしていないから、低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)に罹患したとは認められないと主張する。」(16頁)とされています。
     判決は上記に続けて、「しかしながら、本件において原告は、原告が低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症に罹患したと主張しているものではないから、低髄液圧症候群ないし脳脊髄液減少症の診断基準を基にこれらに該当するか否かを検討する必要はないというべきであり、被告の上記主張は採用することができない。」とします。

  3.  以上のとおり、この事件では後遺障害の有無・程度や事故と後遺障害との因果関係の判断のために診断が問題となった事案ではありません。
     治療費を請求する局面では、「その時点で医師が確認した症状、検査結果等を前提として、その医師がその治療をしたことが不合理といえるか。」との観点で判断すべきです。これに対して、後になって確定診断ができなかったから、その治療費は事故とは関係ないとすることは誤りです。
     臨床の現場ではその患者の症状に対して、想定できる傷病名のうち最も適切であると考えるものを前提として治療をするほかありません。治療の時点では診断が確定していないことは、頻繁にあることです。
     ある傷病名を見込んで治療したところ、改善が見られたことから後日に正式に診断が下されることも多くあります。改善が見られず、別の候補を見込んで治療したところ、その候補が正解であったから、最初の治療費は支払わないというのもおかしなことです。以上に対して、そもそも診断が確定するまでは治療が認められないと考えることは論外です。
     従って、脳脊髄液減少症の治療費の相当性の主張において、被害者側が「少なくとも本件訴訟で」診断の適否を判断する必要がないと主張し、判決がこれを認めたことは、ごく当たり前のことです。

  4.  以上に対して、この事件の控訴審(広島高裁平成28年3月25日判決、自保ジャーナル1982号1頁)は、地裁判決を覆しています。
     高裁判決は、「ブラッドパッチが必要というためには、脳脊髄液腔から髄液が漏出していると認められる必要がある。」(6頁)と述べます。
     しかし、その時点で主治医が髄液漏れないしその可能性が高いと判断したことが不合理でなければ、治療の相当性が認められます。これに対して、後になって髄液漏れを検討しなおして、髄液漏れが明確に確認できなければ治療の相当性がないとするのは、誤りというほかありません。
     しかも、高裁判決は、主治医がRI(ラジオアイソトープ)脳槽シンチグラフィーで、①早期膀胱内集積、②腰椎レベルでのRIの漏出像、③硬膜外のRI集積、・正面像で非対称性の異常集積を認めたこと、④MRミエログラフィーにおいて傍脊柱筋の筋層間に髄液漏出を認めたことを、「確定的な画像所見ではない」、「明らかではない」などと否定して、治療の相当性を認めなかったことは、あまりにも不合理というほかありません。
     高裁判決の背後にあるのは「診断が正しくなければ症状が認められない。よって、存在しない症状に対する治療費は発生しない。」との理屈です。もちろん、この理屈は誤りです。

5 大阪地裁平成13年3月29日判決(自動車保険ジャーナル1421号1面)

 少し古い判決に目を向けると、CRPS(複合性局所疼痛症候群)の事案で、上記判決は、「原告の傷病がRSDであるか否かを特定することは、RSD自体の定義が必ずしも明確でなく、原因も症状も異なる多様な症状を包括して総称されることからすれば、実益があるとはいえず、その痛みの部位、程度、治療経過、予後等と就労の内容等を総合的に比較検討して労働能力喪失率を定めるべきである」としています。
 この判決は症状の有無や程度は診断の適否により決まるものではないことを正しく理解して、症状の検討のために診断を確定させる実益はないとしています。
 その上で、被害者の実質に目を向けて、被害者の痛みの症状の度合いや「特性の靴を使用することにより歩行にほとんど支障がなく、階段の昇降やトイレ等の日常生活動作にも特段の不自由がないこと」、「保険外交員として就職し、稼動していること」等から労働能力喪失率を15%と認定しています。
 なお、この判決は、労災のRSDの3要件の制定(平成15年8月8日)以前のものです。RSDの3要件が制定されると、それが「RSDであるかどうかを認定する基準」であるとする誤った主張が加害者側のウソ理屈の定番となり、裁判所は診断の適否の判断に誘導されやすくなったと言えます。

(以下は上記裁判例の検討です。)


6 症状を認定する資料を限定していないこと


  1.  以上のとおり、最近の判決、しかも私の目に留まった判決に限定しても、診断の適否を判断する必要がないと明言した判決は少なからず存在します(上で挙げなかった裁判例もあります)。古い判決にも同様に診断の適否を判断する実益はないとするものも存在します。
     そのほかにも、診断を否定する積極的な理由がない(具体的な代替案が示されていない)と簡単に述べて、臨床での診断をそのまま採用した判決も少なからず存在すると考えられます。簡潔に要点を押さえた判決とも言えますが、このような判決は判例集にはほとんど載りません(先例としての価値が乏しいので)。

  2.  上記の2、3、5の判決に共通して言えることは、症状(後遺障害)を認定する資料を限定していないことです。このため、診断を検討する以前の段階で症状についての心証が確定しています。これが正しい検討方法です。
     民事訴訟法は証拠方法(証拠となりうる資料)を限定していません(247条、自由心証主義)。検討から漏れた証拠により、結論が決定的に変わる可能性があるからです。それゆえ、全ての証拠を洩らさずに検討する必要があります。

7 一部の証拠を特別視しないこと


  1.  証拠のうち画像所見のみを特別扱いし(不可欠の要件とする)、他の証拠を無視ないし軽視することは誤りです。全ての証拠について、その証拠から推測できることがらをそのまま受け入れることが原則です。その上で、「何が起きたのか(生じた可能性が最も高い事実は何か)」の心証を獲得する必要があります。
     例えば、通院が長期化したことは症状が続いているからとすることがごく普通の推測です。これに対して、被害者が無理やり通院しているとの特別な事情を想起して、普通の推測を受け入れないことは誤りです。
     鎮痛剤を処方されていることは、痛みが出ていることを推測させる事情です。被害者が休業しているのは、就労できない症状が出ていることを推測させる事情です。医師が認めた症状は、通常はその症状が存在すると認めることができます。
     そもそも、存在しない症状を訴える被害者はまれです。重度の症状であればなおさらで、被害者の入通院が長期化し、それまで続けてきた仕事ができなくなったなどの事情がある場合にはさらに疑う理由はなくなります。
     このように訴訟に現れた証拠の1つ1つは、その証拠が通常もたらす推測を有しています。①被害者の入通院の事実、②治療内容、③その時点での医師の判断、④休業の事実などの事情は加害者側も争わず、固定性が強い事実です。このような背景事情から推測できることを積み重ねることにより、「動かし難い事実」の心証が形成されていきます。

  2.  以上に対して、一部の証拠(画像所見や契約書など)を「動かし難い証拠(強い証拠)」であると特別視することは誤りです。
     「動かし難い事実」は多数の背景事情(確定した事実)から多層的に支持される事実であるのに対して、一部の証拠を特別視することはその逆です。単なる証拠の序列化にすぎず、自由心証主義に正面から抵触します。
     この誤りに陥ると、脆弱な基盤の上に他のすべての証拠を載せることになります。誤った方法では「強い証拠」を特別視して、まずその部分だけ事実を確定して、他の証拠をこれに合わせて解釈していきます。その結果、1つ1つの証拠が推測させる事実は最初から無視されます。あたかも独裁者(強い証拠)の一声で全ての理屈が通らなくなった状況が生じます。
     例えば、交通事故の事案では、「画像所見がない」を軸に「重い後遺障害を認定しない」という結論を決めて、入通院の長期化、被害者の訴え、医師の認めた症状、検査所見、被害者の休業や退職、身体障害者認定や生活保護などそれ以外の全ての事情を最初に決めた結論に合わせて解釈ないし無視し、一方で被害者の症状が軽いことの根拠に解釈できる面を強調します。

  3.  上記の例のように「動かし難い事実」を「動かし難い証拠(強い証拠)」と勘違いしている裁判例では、その証拠が存在しないことから事実を認定することが多く見られます。
     事実認定では現に存在する全ての証拠から「何が起きたのか(生じた可能性が最も高い事実は何か)」の心証を獲得する必要があります。
     これに対して、「画像所見がない(診断が正しいとは認められない)ので、とにかく被害者の主張する重い症状が存在しないことだけは確定できる。」との思考は誤りです。動かし難い事実を正しく理解していれば、この誤りには陥りません。
     この誤りに付け込み、「画像所見」、「骨萎縮」、「筋萎縮」、「~に罹患したこと(診断が正しいこと)」などを必須として、それを特別視する(不可欠の要件とする)ように誘導するのは、加害者側のウソ医学の定番です。
     実際にも、一部の裁判官は「動かし難い事実」を「動かし難い証拠」(強い証拠)と取り違えているようにみえます。その違いが裁判官ごとの極端な心証の違いに影響しているようにみえる事件に遭遇することは少なくありません。上記2、3、5の裁判例も裁判官が異なれば、極端に異なった結論になったと思います。

8 症状を認定してから、診断の検討をする

 上記2,3,5の事案では訴訟に現れた全ての事情を考慮すれば、被害者に相当の後遺障害が存在するとの心証を得ることができます。その状況で被害者が敢えて症状を偽装するであろうかと考えると、そのようなことをすれば治療に支障が生じることは明らかですので、被害者の主張する症状(担当医が認めた症状)が概ねそのまま存在するであろうことは、容易に認定できます。
 このようにして症状についての心証を確定させた上で、診断の適否を検討すると、「この検討にどんな意味があるのであろうか。」との疑問が当然に生じます。そのことが、診断の適否の判断は必要ではないとの正しい判断につながったと言えます。
 症状の存在は診断をするに際しての大前提ですので、診断を検討するためには症状が確定していることが必須条件になります。この点を正しく理解していれば、診断を検討して、その結果により症状を判断する誤りには陥りません。


9 因果関係判断についての最高裁判決の準則


  1.  上記3の判決は、ルンバール事件最高裁判決を引用しています。その上で、後遺障害と事故との因果関係の判断のために診断を検討する必要がないとしています。このようにメカニズムが不明であっても因果関係の判断ができることは最高裁判決で繰り返し述べられてきました。
     これに対して、「医学的に受け入れられた方法で診断できることにより、症状に対してはじめて医学的説明が与えられる」とか、「~に罹患したといえることにより事故と後遺障害との医学的な整合性が保たれる」などの美辞麗句でメカニズムの解明に誘導するのが、加害者側の医学意見書の基本戦術です。なお、前者の表現は後遺障害の存否の判断のために、後者の表現は事故と後遺障害の因果関係判断のために、診断の適否の判断が必要であると誘導するものです。

  2.  たしかに症状に対する診断が下されたことにより、その症状が生じたメカニズムはその程度で解明されたと言えますが、メカニズムの解明は症状の存否や因果関係の判断に必須のものではありません。  また、診断が確定したからといって、事故からその症状が生じたメカニズムが解明されるわけでもありません。上記の保育園保母事件では、頸肩腕症候群との診断に争いはない事案でしたが、保母の仕事によりどのようにしてその症状が生じたのかが不明との前提で、①総合的観点からの高度の蓋然性、②具体的な他原因の不存在の判例準則を用いています。B型肝炎事件も同様にB型肝炎であることには争いはない事案です。
     現実的に考えてみても、事故を基点として事故直後から続いていた症状について、何らかの診断ができないからその症状と事故との因果関係が認められないとすることは、あまりにも不合理です。ましてや診断を否定できるから症状が否定できるとすることは論外というほかありません。
     労災や自賠責では診断の適否を判断することができず(医師法17条、医師法20条)、その判断をしません。即ち、半世紀以上にもわたり診断の適否を検討することなく、膨大な数の後遺障害認定が行なわれてきました。この事実からは、あえて診断を検討するのであれば、その必要性を論理的に明確に述べる必要があります。

     (上記は2017年9月1日に私のブログに掲載した内容です)

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