弁護士による交通事故ブログ (転載禁止)

他覚的所見の意味

1 他覚的所見の意味

 他覚的所見とは医師が五感により看取することができた全ての所見を意味します。即ち、視診、触診、聴診の結果も他覚所見です。
 医学的な概念としてこのように理解されていることは、例えば日本版CRPSの判定指標からも示すことができます。各項目の他覚的所見は以下の方法で得ることができます。

  1. 皮膚・爪・毛のいずれかの萎縮性変化(視診で確認)
  2. 関節可動域制限(徒手検査で確認)
  3. アロディニア(触診やピンプリックテストで確認)
  4. 発汗の亢進ないし低下(触診、視診で確認)
  5. 浮腫(視診、触診で確認)

 つまり、CRPSの判定指標の中では視診や触診によって得られた所見も、患者の協力を得て検査を行なう可動域測定の結果も他覚的所見となることが当然の前提とされています。なお、他覚的所見が同時に自覚症状であっても構いません。このことはCRPSの判定指標の上記の項目が自覚症状としても機能していることからも明らかです。他覚的所見のない純粋な自覚症状としては寒気や嘔吐感などがあります。
 医学における「他覚的所見」の定義は自賠責の手続でも用いられてきました。例えば、後遺障害診断書の定型書式の「他覚症状および検査結果」には①から⑩の項目があるところ、全ての症状や検査結果はこの項目に記載されます。


2 他覚的所見の定義に関する主張の意図

 ところが交通事故に関する文献を古いものから精査していくと、他覚的所見の意味を限定する主張が所々に見られます。他覚的所見の意味を限定する主張は15年以上前には訴訟で加害者側の主張のなかにもしばしば見られました。
 即ち、①後遺障害は他覚的所見により証明される必要がある、②他覚的所見とは患者の意思に左右されない所見である、ゆえに③他覚的所見は画像所見やそれに類する所見のみを意味する、との理屈です。もちろんこれは誤りです。
 一方で、他覚的所見の正しい意味(上記)や少なくとも画像所見に限定されないことを知っている裁判官も多いため、「明確な他覚的所見が必要である」とのあいまいな表現も多用されました。
 最近では「明確な客観的所見が必要である」との表現が多く見られます。要するに「画像所見のみを重視して、他の証拠は無視して欲しい」が加害者側の意図です。


3 自賠責限定の定義を述べるもの

 以上に対して、全く別の観点から他覚所見の意味を述べる文献も存在します。高野氏は平成15年の改正前の後遺障害認定基準(他覚的所見による証明を必要とする)を前提に、自賠責保険ないし支払者側の主張は以下の趣旨であろうと述べます(高野真人「後遺障害の評価方法と現行実務の問題点」『新・現代損害賠償法講座5交通事故』157頁、平成9年)。
 即ち、他覚所見の存在は後遺障害認定の大前提であり、異常が他覚的に確認されないのでは後遺障害等級非該当にしかならないとの前提のもとで、被害者に存在するとされる残存症状を発生させている神経系統の不具合の存在が確認できる所見こそが後遺障害認定での「他覚所見」であると。
 これは「他覚所見」を医学的な定義とは完全に別個のものとして、後遺障害認定手続での特別な意味を持つものとして説明するものです。しかし、医学的には明らかに誤った定義であり、無理がある解釈です。なお、平成15年改正で障害認定基準から「他覚的所見」の言葉が一掃されたので、改正後にはこの定義を採用する余地はありません。


4 平成15年の労災認定基準の大改正

 他覚的所見のウソの定義が主張された背景には、平成15年に改正される前の労災の認定基準の存在があります。改正前は、「神経系統の機能又は精神の障害」の12級の基準は「他覚的に神経系統の障害が証明されるもの」とされていました。
これは全ての他覚的所見を総合して後遺障害の存否を判断するとの趣旨です。この点は今の『青い本』の見解も同じです。これに対して、他覚的所見を画像所見等に限定しようとする誤った主張が流行していました。
 平成15年の改正で他覚的所見という言葉は認定基準から消え去りました。現在は原則的基準にも疼痛等感覚障害の基準にも他覚的所見という言葉は出てきません。従って、現在では他覚的所見のウソ定義を主張してもあまり意味がありません。


5 症状を認定するための資料に制約はありません

 他覚的所見の定義の争いは、症状を認定するための資料を制限するかどうかの争いでした。もちろん、制限することは誤りです。症状を知るための最善の方法は症状に関係する全ての資料(証拠)を洩らすことなく検討することです。検討しなかった資料により、結論が決定的に変わる可能性があるからです。
 民事訴訟法も自由心証主義(247条)により、裁判官は訴訟に現れた全ての事情を考慮する必要があるとしています。検討しなかった事情により結論が変わる可能性があるからです。
 症状に関する資料としては、①被害者本人の訴え、②医師が確認した全ての症状(他覚的所見)、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦症状を確認した医師の判断(診断)、⑧その他の事情があります。これらの全ては症状の検討に不可欠です。
 常識的に考えてみても、①患者が重度の症状を訴え、②医師もその症状を認め、③それを裏付ける検査所見があり、④その症状への治療が行なわれ、⑤治療が長期間に及んでいて、⑥就労や日常生活への影響も確認でき、⑦医師もそれを認める診断(後遺障害診断)をし、⑧身体障害者手帳の交付を受けている場合に、画像所見のみに着目して、①から⑦を無視してその症状を否定することはかなり異常なことです。


6 加害者側(損保側)の戦略


  1.  加害者側は、上記①から⑧の全てを裁判官の検討対象から除外させることを目指します。その第一歩が「患者の症状は画像所見で異論なく証明される必要がある」とする主張であり、そのために他覚的所見の意味を狭くする主張が出てきたわけです。
    確かに、「被害者の意思に左右されない客観的な証拠がなければ、被害者の主張する症状が本当に存在するのかどうかは誰も知りえない。」との理屈には一見すると説得力があります。特にむち打ち症の事案ではこの主張は恒例でした。

  2.  この理屈にはいくつかの難点があります。1つは、証拠を限定することそれ自体です。この点は上記のとおりです。検討から抜け落ちた証拠により結論が決定的に変わる可能性があります。
     もう1つの難点は、求める心証の度合い(証明度)を高くしすぎることです。証拠の制限に陥った裁判例では、証明度を高くしすぎる誤りが併存していることが多いといえます。伝統的な通説によれば、裁判で必要な証明度は、「おそらく~であろう」(80%ほどの確信)で充分です。有力説(最近の多数説)は50%を超えていれば良い(実際には51%ではなく60%ほどの心証が必要とされる)とします。証明度に関する論文を書いている学者の中ではこの有力説の方が圧倒的な多数説であると言えます。
     いずれにしても、60%対80%の争いであって、90%を超える証明度は必要ではなく、ましてや画像による確実な証明(99%)は必要ではありません。
     証明度を高くしすぎる誤りは、実質的心証の空洞化を併発します。即ち、「何が起きたのか」(生じた可能性が最も高い事実は何か)についての実質的心証を形成せずに、「何が起きたのかは不明であるが、とにかく~であるとは認められない(とにかく確実な証拠はない)」との形式の判断構造になります。
     加害者側の狙いはそこにあります。加害者側の主張は「実際にどんな症状が生じているのかはおくとして、それは高い後遺障害には該当しない」との理屈を裁判官に書かせることを目的としています。「現実を無視してキーワードの概念操作だけに没頭して欲しい」というのが加害者側の戦略です。

  3.  現在では、他覚的所見を画像所見に限定する判決はほとんど見かけなくなりました。そこで加害者側は、 とりあえず「12級以上の重い後遺障害を認定するためには明確な客観的所見が絶対に必須である」との主張をしておくことが多くなりました。 これを受け入れる判決がしばしば出現するため、とりあえず習慣的に書いているという感じです。

7 診断の検討への誘導


  1.  現在では加害者側は上記の①から⑦を検討しないように誘導するために、別の主張に比重を置いています。それは「診断が正しいといえなければ症状は認められない」との理屈です。もちろんこの理屈は誤りです。症状を根拠に診断を下したのに、その診断を根拠に症状を認めることは循環論法になります。この理屈をそのまま主張をしても騙される裁判官はいません。 そこで、例えば「本件では被害者が本件事故によりCRPS(複合性局所疼痛症候群)を発症し、CRPSによる症状が生じたのかが問題となる」などの表現を用います。即ち、「CRPSを発症したからこそその症状が発生したのであり、CRPSを発症したといえるかが問題となる」との理屈です。もちろんこれも誤りです。患者の症状をもとにCRPSと診断したのに、その診断が正しいから症状が認められるとすることは循環論法です。また、CRPSにり患したことによりCRPSの症状が生じるという因果性は存在しません。    しかし、この理屈はほとんどの傷病で用いられています。巧妙な表現に騙されて、診断の検討に誘導されてしまった裁判例は非常に多く存在します。例えば、「医学界で一般に承認されている診断基準をみたす事実の存在が認められる場合には、事故による受傷後に後遺障害が残存したメカニズムが証明されたと判断できる」といった衒学的な表現が用いられると、何となく被害者側が診断の正しさを証明しなければならないと考えてしまうかもしれません。

  2.  この理屈に騙されると上記①から⑦を無視して、診断の適否を検討するように誘導されます。即ち、症状を判断するために必須となる全ての検討事項を無視して、症状とは関係しない診断の適否の検討に没頭することになります。まさに「完落ち」で騙された状態と言えます。
    なお、上記⑦でいう診断は「医師が患者の症状に対してある評価(診断)を下した」との現実に存在する事実を言います。診断が正しいかどうかは事実ですらありません。この事実ですらないものを検討して、事実が導かれるとする空論に誘導することが加害者側の定番の戦術です。普通の人は、こんな初歩的な騙しに裁判官が引っかかるわけがないと思われるかも知れません。実際は入れ食い状態で非常に多くの事案で裁判官は騙されています。
    加害者側が提出する医学意見書には、「原告(被害者)がCRPSを発症してその症状が生じたのかが問題となる」などと診断の適否の検討へ誘導する各種の表現が繰り返し用いられます。意見書の名義人の医師が大学病院の医師(教授)であることもしばしばあり、鑑定書で同じ理屈が述べられることも少なくありません。そのためこの理屈に誘導されることが多いようです。

8 『青い本』での定義

 上記のとおり、現時点では他覚的所見の意味を検討する意義はほとんどありません。『青い本』(日弁連交通事故相談センターが発行する『交通事故損害額算定基準』)の「後遺障害認定実務の問題点」のなかで以下の部分があります。


(25訂版343頁より)
 他覚的に証明されるか否かは、種々の検査結果をもとに判断するわけであるが、通常行なわれる検査としては、X線、CT、MRI、脳血管撮影などの画像診断、脳波検査、深部腱反射検査、病的反射検査(上肢のホフマン、トレムナー、下肢のバビンスキー反射、膝クローヌス、足クローヌスなど)、スパーリングテスト、ジャクソンテスト、筋電図検査、神経伝導速度検査、知覚検査、徒手筋力検査(MMT)、筋萎縮検査などが挙げられる。


 上記の部分を注意して読めば、「徒手筋力テスト」の記載から患者の協力が必要な検査も当然に他覚的所見とされており、「知覚検査」の記載から触診の結果なども当然に他覚的所見であるという当たり前のことが導き出されます。要するに全ての他覚的所見を総合して、後遺障害が証明されたかどうかを判断するとの趣旨です。
 上記のとおり、症状に関する資料には、①被害者本人の訴え、②医師が確認した全ての症状(他覚的所見)、③検査結果、④治療内容、⑤治療期間、⑥就労や日常生活への影響、⑦症状を確認した医師の判断(診断)、⑧その他の事情があります。これらの全ては症状の検討に不可欠な重要事項です。
 労災や自賠責の収集する資料には、①~⑧の全てに関するものがありますが、通常はカルテは収集しないなどの資料の制約があります。しかも、改正前の認定基準は、このうち②、③のみを資料とするという制約があったと言えます。せっかく収集した資料を参考にしないのはおかしな話です。労災では平成15年の認定基準の改正によりその制約をなくしたにも関わらず、『青い本』の見解は改正前の基準に依拠した説明をしています。


9 普通保険約款の定義

 普通保険約款には用語の定義があり、「他覚的所見」を「レントゲン検査、脳波検査、理学的所見、神経学的所見、臨床検査、画像検査等により認められる異常所見をいいます。」としています。
 この部分も注意して読めば、『青い本』と同趣旨であることが読み込めます。但し、「異常所見」との文言は難があります。症状ごとにその症状が異常であるかを判断する必要はありません。


10 明らかな誤り

 全ての検査所見が「他覚的所見」であること、即ち、触診による痛みやしびれの確認、聴診による心音の確認、視診による腫れや変色の確認、徒手筋力検査の結果、関節可動域検査の結果などが他覚的所見であることは、現在では異論はありません。
 しかし、他覚的所見の意味を明らかに誤っている書籍も存在します。例えば、『交通事故の法律相談』(全訂第4版、平成23年)110頁では、「他覚的所見とはXP、CT、MRI等の画像所見や神経学的検査等の客観的な医学的検査のことで、被検者の意思に左右される検査結果は他覚的所見には含まないと解されています。」とします。新版(平成28年、133頁)でも同じ誤りを述べています。
 この部分は書籍が改訂される中で、古くからの記載が残されていたと思われます。古い書籍や座談会での発言には同種のものがかなり多く存在します。
 例えば、北河隆之「『頚部外傷性症候群』再論」、『人身賠償・補償研究 第2巻』183頁以下や、高野真人「後遺障害の評価方法と現行実務の問題点」『新・現代損害賠償法講座5巻交通事故』156頁以下、羽成守「むち打ち損傷被害者相談における留意点」『赤い本2002年』241頁などで定義をめぐる議論がなされています。
 これらについて細かな検討をすることは現在では意味はありません。現在の労災の認定基準は、後遺障害認定の資料を他覚的所見に限定していないどころか、医学的資料にさえも限定しておらず、全ての資料を根拠にすることができます。そもそも訴訟では自賠責の認定基準には拘束されず、自由心証主義からも裁判官は全ての資料を参照することが当然に求められます。 


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