実務解説 (転載禁止)

発症理論について

1 発症理論(由来する症状論)への誘導

 交通事故訴訟では事案の検討に入る以前の前提問題が極めて重要です。なぜならば前提問題でいくつかの誤った考えに誘導することが加害者側の 基本戦略となっているからです。CRPSが関係する訴訟では加害者側(損保側)は以下の騙しの理屈を述べることが鉄板の約束事になっています。 この問題は『なぜ診断を検討するのですか』の項目でも検討しています。
 即ち、①被害者が主張しているのは「CRPSによる症状」である、②「CRPSによる症状」はCRPSを発症したことにより生じる、③よって、 被害者が主張する症状の有無は被害者がCRPSを発症したか否かにより決まる、との理屈です。以下ではこれを「発症理論」と呼ぶことにします。
 発症理論は騙しの理屈です。上記②の「CRPSを発症した」は「その症状をCRPSと診断できる」の意味です。 「CRPSを発症したことによりCRPSによる症状が生じる。」とする発症理論は一般化すると、「症状に対する診断が正しいと認められる場合には、 その診断に対応する症状が存在することが裏付けられる」との理屈になります。しかし、「診断が正しい。よって、診断の基礎となった症状が存在する ことが裏付けられた。」との関係はありません。当たり前のことです。症状をもとに診断を下すのであって診断が正しいことにより症状が裏付けられる 関係にはありません。症状をもとに診断を下したのに、その診断により診断の基礎となった症状が裏付けられるとすることは循環論です。このように 疑いの目を向ければ発症理論が騙しの理屈であることは容易に判明します。そこで加害者側は裁判官を騙すために意図的に「診断」という言葉を避けて 「発症」との言葉を用いて発症理論を主張します。
 発症理論は他類型の多くの傷病でも加害者側が主張する汎用性のある鉄板の騙しの理屈です。加害者側は様々な表現でこの理屈に誘導します。 例えば、④被害者の主張する症状(関節拘縮)は『CRPSに由来する症状』である。⑤『CRPSに由来する症状』はCRPSに罹患したことによって生じる。 ⑥よって、被害者の主張する症状が存在するためには被害者がCRPSに罹患したことが証明されなければならない、との理屈です。私の判例解説ではこれを 「由来する症状論」とも呼んでいました。発症理論と中身は同じです。
 残念なことに非常に多くの裁判例がこの理屈に入れ食い状態で騙されていることが判例集で確認できます。 なお労災・自賠責の高次脳機能障害は疾患ですらありませんが、この類型でも発症理論に騙された裁判例が非常に多いです。 判決中に「発症」の文字がある場合はほとんどの場合で「発症理論」に騙されています。私は判例集を読むたびに「相変わらず裁判官も『発症』してるなあ」と 暗い気持ちになります。意図的にこの主張をしている加害者側の弁護士も発症理論にあまりにも多くの裁判官が入れ食い状態で騙されていることに 驚いているかもしれません。


2 交通事故訴訟では診断の適否の検討は不要です

 正しい理屈では診断の正しさは症状の有無や程度には全く影響しません。症状を基礎として診断を下すのであり、 診断が肯定されても否定されても変更されても既に確認された症状に変更が生じる余地はありません。診断は事実(症状)に対する評価です。 事実に対する評価には事実を変更する力はありません。当たり前のことです。
 交通事故訴訟では症状(後遺障害)の有無と程度が確認できれば症状に対する診断の適切さを検討する必要は原則としてありません。 例外的に加害者側が症状に対する診断として交通事故により生じるたぐいではない傷病(例えば糖尿病)の具体的傷病名をあげて被害者の症状が その傷病によることを主張・立証して事故との因果関係の否定を主張することはできます。
 この例外以外の局面では被害者の症状に対する病名を特定する必要はありません。被害者の症状に対する診断は交通事故により生じるたぐいで あれば良く、それ以上検討する必要はありません。診断を下すための前提として被害者の具体的症状の確認が行われますが、その具体的症状をもとに 後遺障害認定が可能となります。診断された傷病名が交通事故による傷病として矛盾しなければ(矛盾の指摘は加害者側の責任で行われます) いかなる傷病名でも何の問題もありません。


3 診断の検討を不要とした裁判例

 実は診断の適否の検討が不要であることを述べた裁判例は少なからずあります。 その一部については実務解説の「診断の検討を不要とした裁判例」の項目で検討しています。 それらの裁判例は症状(後遺症)を確定させてから診断を検討するという当たり前の順序で検討したため、 「症状が確定したなら診断の検討は不要ではないか」との問題意識が生じた裁判例とも言えます。


4 訴訟で被害者が主張していること

 診断の適否の検討に引き込まれるのは「裁判で被害者が何を主張しているのか」という基本事項を理解できていないからです。 被害者が主張しているのは以下の2点です。即ち、(A)被害者の主張する症状(後遺障害)とそれによる生活や就労等での不都合が存在すること(損害の存在)。 (B)前記(A)の損害がその事故により生じたこと(因果関係)です。上記(A)の損害に関しては、検討対象は被害者に残存する具体的症状であり、 その症状に対する診断ではありません。
 これに対して、加害者側は被害者側の主張・立証対象を格段に増やす戦法を取ります。例えば症状をS、疾患の名称をRとすると(ア) 被害者が疾患Rを発症したこと、(イ)被害者の症状Sが疾患Rの症状として生じたこと、(ウ)その事故により被害者が疾患Rを発症したこと、 を被害者が主張・立証する責任があるとします。
 これら3点は発症理論により導かれるものです。もちろんすべて誤りです。正しい理屈では、診断が正しいことにより症状が裏付けられる関係は存在しません。 被害者の症状Sが「疾患Rの発症」により生じたとの関係は存在しません。この点に注意して考えれば3点とも誤りであると容易に見抜けるはずです。
 また、被害者の主張している内容が上記(A)(B)であると理解できれば、被害者の主張していない内容の主張・立証を被害者に求めることとなる点でも 上記3点の誤りは見抜けます。(ア)ないし(ウ)は被害者側の主張・立証対象を増加させるための加害者側の戦略です。その戦略の中核は 「診断が正しいこと(発症したこと)」を被害者は主張・立証すべきであるとの騙しの理屈(発症理論)です。


5 因果関係の判断方法について


  1. 他原因考慮(代替説明)の重要性
     損害の検討方法の誤りは、因果関係の判断方法にも影響を及ぼします。実はこちらの誤りの方が段違いに有害です。正しい方法では上記(B)の因果関係の検討は(A)で確定した結果がその事故により生じたと言えるかとの検討をすることとなります。この局面では(A)で確定した結果を生じさせた原因としてその事故以外の原因がありうるかとの他原因考慮(代替説明)が決定的な役割を果たします。
     因果関係判断の大部分は、「それ以外の原因はあり得ない」との他原因考慮(代替説明)により成り立っています。例えば、交通事故後に鎖骨骨折が判明した場合に、車の質量・速度・衝突角度・車の強度や人体の年齢・性別・体格・体重・事故時の態勢・鎖骨の強度等の細かな前提事実からその事故により鎖骨骨折が起きるべくして起きたことを証明することは不可能です。このやり方では常に因果関係は否定されます。
     しかし、他原因考慮の思考を用いれば「事故以外の原因はあり得ない」との考察から即座に事故が原因と判断できます。これに反論する側は相当の根拠がある事故以外の他原因の存在を主張・立証する必要があります。このように他原因考慮は因果関係判断の大部分を担っています。
     ルンバール事件等の一連の最高裁判決ではこの他原因考慮を必ず検討しています。この点は「実務解説」の「因果関係判断の準則‐ルンバール事件最高裁判決等」の解説で検討しています。

  2. 加害者側の戦略(結果を確定させずに検討)
     加害者側は、結果の存否を確定させずに未確定のままにするとの戦略を取ります。結果が未確定の状態では他原因考慮(代替説明)の思考は行えないからです。加害者側は結果を確定しないまま因果関係を検討し、「どのような結果が生じたかは措くとして、その結果は原因と目されている事象により生じたものではない。」との極めて特殊な判断方法に誘導します。
     この部分で騙された裁判官は「被害者に残存する具体的症状がどのようなものであるかは措くとして、それは本件事故によりCRPSを発症して『CRPSによる症状』として生じたものではない。よって、本件事故との因果関係を有しない」との論理に誘導されます。私の判例解説では多くの裁判例がこの理屈に誘導されていました。
     正しい思考方法では結果を確定させたうえでその結果を生じさせるものとしてA(原因と目されているもの)以外の他原因がありうるのかとの他原因考慮が決定的な役割を果たします。ルンバール事件やそれに続く最高裁判例では、原因と目される事象と結果との間に因果関係の一応の推定が成り立つ場合には、相手方においてより可能性の高い具体的他原因をあげてそれにより結果が生じたことを相当程度に主張・立証する必要があるとされています。
     しかし、発症理論のもとでは結果の認定をしないため他原因考慮が機能する余地がありません。このように加害者側は因果関係を判断する中枢となる方法論を排除した状態で因果関係の否定を導くように誘導します。よく考えられたトリックだなあと思います。

6 裁判官を騙して賠償金の支払を免れることは犯罪です

 上記の「発症理論」を裁判官に信じ込ませて、診断の検討等に誘導し、結果(損害)の検討を阻害しようとすることは、私は犯罪に当たると考えています。 即ち、裁判官に誤った理論を提示して、その理論が正しいとの錯誤に陥らせ、損害等についての判断を誤らせ、これにより支払うべき賠償金(の全部ないし一部)の 支払を免れることは詐欺罪の構成要件に該当します。被害者が被った損害の大きさからみても極めて悪質な言語道断の犯罪行為であることは明白です。
 これに対して、発症理論を裁判官が信じたということは発症理論が正しいということであり、裁判で正しさが認められた理論について、「騙すための理論」 ということはできない。従って、何の犯罪も成立しないとの反論も考えられます。訴訟では加害者側は裁判官を騙すことに罪悪感を覚えているようには見えず、 むしろ高度なトリックを披露してその当然の対価として賠償金の減額を勝ち取ったのであるとの感覚さえ窺われます。
 しかし、詐欺罪においては被欺罔者を騙したからこそ被欺罔者はそれを正しいと信じて行動したのであり、被欺罔者を騙したことが違法性阻却事由などの 可罰性阻却事由になることはあり得ません。従って、意図的に発症理論を用いて裁判官を騙そうとすることは犯罪に該当すると考えられます。


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