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全ての診断は新たな診断に対して開かれている
前項で述べた発症理論は「CRPSを発症した」ことの主張・立証責任を被害者側に課します。「CRPSを発症した」の意味は「CRPSと診断できる」との意味です。発症理論は被害者の症状に対する診断が正しいことの主張・立証責任を被害者に課そうとする騙しの理屈です。
もとより事実ではなく、概念の正しさは主張・立証命題として適切ではないとの根本的な問題もあります。発症理論に対する批判は前項でも述べましたが、より根本的には「診断が正しいこと」の証明を求めることそれ自体が不適切な立証命題である点にも向けられるべきと言えます。
正しいはずの診断をしても、その後にその診断に基づく治療によって患者の症状が改善せず様々な再検査の末に別の傷病である可能性の方が高いとの事情が生じる可能性を完全に否定することはできません。全ての診断は常に新たな診断に対して開かれており、その意味で診断に絶対的な正しさを求めることは不可能であり、診断方法の「適切さ」を求めるほかないとの問題があります。そのため「どの程度の正しさを主張・立証すべきか」の問題とならざるを得ません。
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診断が正しいことを人は知覚できない
科学的に厳密な意味では患者に対する診断が正しいことを人は確認することはできないとの根本的問題もあります。正しいはずの診断をしてその治療の効果があったように見えても、現実にその治療が効果を発揮したのか、別原因でその現象(治癒)が生じたのかを厳密に判別する方法はありません。単に自然回復しただけかもしれません。おそらくはその診断とその治療の背後にある医学的メカニズムが生じたであろうとの推測はできるものの「AがBに効果を与えた」との部分は現象の背後にあるメカニズム自体を人は知覚することはできないとの根本的・哲学的な問題があります。
法則や因果関係それ自体を人は知覚することはできません。人が知覚できるのは想定した法則等を経た事実のみです。このことを前提に、究極的にはその結果が生じた理由としてその法則以外は考えられないとの理由(代替説明の不存在)で全ての科学法則は支えられています。以上のとおり、厳密な話をすると診断が絶対に正しいことを人が確認することは原理的に不可能という問題があります。
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メカニズムと因果関係を取り違える誤り
上記の哲学的な話に何の意味があるのかと思う方がおられるかもしれませんが、私が検討した裁判例のなかにはこの部分でつまずいたようにも見える裁判例が少なからずありました。事実経過の詳細を解明することにより因果関係が存在する実感のようなものが高まります。その感覚自体は誤りとは言えません。
しかし、この考えを進めていくとメカニズムが解明されない限り因果関係を認めることはできないとの考えに行きつきます。これは「メカニズムを因果関係と取り違える誤り」です。他原因考慮の思考を欠いたまま因果関係の検討をするとこの考えに行きつきます。
正しい思考過程であればメカニズムの解明(事案の解明)が頭打ちになった時点で「A(原因と目される事象)のほかに結果を生じさせるものは存在しうるか」との他原因考慮を働かせて、「A以外に原因となりうるものはない」との結論を導くことになります。このようにメカニズムが完全に解明されなくとも因果関係を認めることができることは最高裁判例がルンバール事件などで何回も繰り返し述べています。即ち、高度の蓋然性と他原因考慮の併用です。
診断の正しさを求めることについて
