1 CRPS患者に必須の症状は確認されなかった
1993年のアメリカでの829人のCRPS患者を対象とした大規模調査では全てのCRPS患者に出現した症状は確認できませんでした。各症状の発生頻度は以下のとおりです。
疼痛93%、痛覚過敏79%、知覚過敏76%、皮膚色調変化92%、浮腫69%、多汗47%、皮膚温左右差92%、四肢運動障害88%、運動後愁訴増悪96%、協同運動障害54%、振戦(ふるえ)49%、不随意運動36%、筋痙攣25%、不全麻痺95%、偽麻痺16%、皮膚萎縮40%、発毛障害55%、爪発育障害60%、爪萎縮7%、筋委縮55%、骨萎縮36%です(『臨床雑誌 整形外科』54巻7号746頁)。この調査結果をもとに1994年の国際疼痛学会の判定指標が作られています。念のために述べますが、上記の統計は全てのCRPS患者に発現した症状は1つたりとも存在しないことを示します。
なお、2008年の日本の判定指標もそれに先立ってCRPS患者に出現する症状の調査が行われました。この調査は100名ほどのCRPS患者による調査であり、アメリカに比べるとかなり小規模です。この調査でも全てのCRPS患者に出現した症状は確認できませんでした。このことからCRPSは必須の症状を持たないことが結論付けられます。
3 全てのCRPS判定指標は必須の症状を求めていない
国際疼痛学会、日本及びアメリカのCRPSの判定指標は必須の症状を求めていません。必須の症状であれば判定指標が「症状Aが必要である。」との記載となるはずですが、実際にはそうなっていません。もとより判定指標の作成に先立った臨床の調査で必須の症状が確認できなかったことから、判定指標が必須の症状を求めていないことは当然です。
2005年の国際疼痛学会の判定指標は「以下の4項目のうち3項目で少なくとも1つの症状(患者の訴え)があること」と「以下の4項目のうち2項目以上で少なくとも1つの兆候(評価時の所見)があること」を要求しており必須の症状を要求していません(『ペインクリニック診断・治療ガイド』5版107頁)。
2008年の日本版判定指標は自覚症状と他覚所見において5項目のうち2項目を満たせば良い(陽性となる)との基準を提唱しています。5項目をAないしEとするとABでもDEでもCRPSと診断できるので必須の症状がないことが瞬時にわかります。なお、判定指標は「AB、AC、AD、AE、BC、BD、BE、CD、CE、DE」の10通りをあわせてもCRPS患者の約80%しか網羅しません。約20%はAないしEのうちの1つの症状しか持ちません。
4 必須の症状がないのは自然科学の見地からは当然です
CRPSによる症状はどのような原理で生じるのでしょうか。CRPSと命名される以前のRSD(反射性交感神経性ジストロフィー)と呼ばれていた時期は名称とおりの原理で症状が生じると理解されていました。簡単に言えば痛みが治まらずに持続するとその反射としてのジストロフィー(異栄養)の症状とそれに呼応した交感神経性の症状が生じ、その悪循環の中で関節可動域制限や関節拘縮が生じるとの説明です。
即ち、痛みが生じるとその部位の組織が収縮します。これは出血を止め細菌の侵入を防ぐための生理的な反応です。その痛みが治まらなければ組織の収縮が続きます。その結果、患部への血流が阻害され患部にうっ血が生じ浮腫(腫脹)となります。患部の収縮が続いて血流による栄養供給が滞れば患部の皮膚、毛、爪、骨などの萎縮(ジストロフィー)が生じます。この異常事態を治めようと交感神経の働きが活発化して交感神経性の症状として皮膚温の変化、発汗の変化などが生じます。これらの症状により痛みが増悪し前記の症状がさらに活発化するとの悪循環が生じ、軟部組織の収縮が続き軟部組織の崩壊や癒着が生じて関節可動域制限やそれが悪化した関節拘縮に至ります。これがRSD(反射性交感神経性ジストロフィー)の大まかな説明です。現在でもこの説明はCRPSの病態のかなりの部分をうまく説明していると思います。
その後に交感神経の関与しない症状が確認されたことなどから多元的な原因で症状が生じるとの考えが主流となり、1994年にRSDはCRPS(複合性局所疼痛症候群)と改名されました。その考えのもと痛みの持続の原因や各症状の生じる原理について仮説が提唱されるようになりました。痛みの持続には中枢性感作、エファプス、クロストーク、ワインドアップ現象などが関与しているとの仮説が有力となりました(『ペインクリニシャンのための新キーワード135』10頁以下)。これらの用語の解説は省略します。基本的には各症状は患部がその症状が生じやすい状況となったことで引き起こされたとの説明となります。これは原理的に当たり前すぎる説明ですが。
その症状が生じやすい状況となっても、その症状が生じる患者と生じない患者に分かれることは当然とも言えます。即ち、症状を生じさせようとする患部での環境的な圧力は一定ではなく患者ごとに異なり、その圧力に対する耐性も患者ごとに異なるからです。そのような見地からはその症状が生じやすい環境のもとでその症状が生じる患者と生じない患者に分かれることや症状の重症度に違いが生じることは、患者の統計(自然科学における標準正規分布)を想起すれば至極当然のことであると言えます。
これに対して、全ての患者に生じる必須の症状が存在するとの考えは、その症状を生じさせる環境的な圧力が全ての患者に正確に一定以上の強度であり、全ての患者の耐性も正確に一定以下であるとの前提が必要となります。自然科学的な見地からはそれはあり得ないと断言できます。このように考えていくとある疾患がその疾患にり患した全ての患者に生じる症状を持たないのは当たり前であるとも言えそうです。CRPS患者が必須の症状を1つたりとも持たないことは当然のことであると言えます。
以上のとおりCRPS(RSD、カウザルギー)には必須の症状は1つもありません。必須の症状を持たないことは疾患として特殊なことではなく普通のことであり、診断基準等が知られているほぼ全ての疾患も必須の症状を持ちません。
5 裁判官に誤った医学的知見等を信じさせて賠償金の支払いを免れることは犯罪です
誤りないし根拠薄弱な医学的知見やこれに関連する理屈(以下では誤った医学的知見等と言います)を裁判官に信じ込ませて、賠償金の支払いを免れることは犯罪に当たると私は考えています。即ち、裁判官に誤った医学的知見等を提示して、それが正しいとの錯誤に陥らせ、損害等についての判断を誤らせ、これにより支払うべき賠償金(の全部ないし一部)の支払を免れることは詐欺罪の構成要件に該当します。被害者が被った損害の大きさからみても言語道断の悪質極まりない犯罪行為であることは明白です。
これに対して、誤った医学的知見等を裁判官が信じたということはその知見等が正しいということであり、裁判で正しさが認められた理論について、「騙すための理論」ということはできない。従って、何の犯罪も成立しないとの反論も考えられます。訴訟では加害者側は裁判官を騙すことに罪悪感を覚えているようには見えず、むしろ高度なトリックを披露してその当然の対価として賠償金の減額を勝ち取ったのであるとの感覚さえ窺われます。
しかし、詐欺罪においては被欺罔者を騙したからこそ被欺罔者はそれを正しいと信じて行動したのであり、被欺罔者を騙したことが違法性阻却事由などの可罰性阻却事由になることはあり得ません。従って、意図的に誤った診断の検討方法を用いて裁判官を騙そうとすることは犯罪に該当すると考えられます。